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★電脳歌人ミコトの恋の覚書 その14★ハヤリモノの取り入れ方 河原左大臣

  • 2014年04月10日  菱月 美琴  



    流行をさりげなく取り入れていたり、最新の話題をそれとなく知っていたりする人って、ちょっと素敵に見えますよね。ここで大事なのは「さりげなく」と「それとなく」。大っぴらにハヤリモノに飛びついていたりすると、かえって野暮ったくてマイナスです。

    今回は流行を上手く取り入れ発信していた、平安のモードクリエイター、河原左大臣について学びたいと思います。

     

    「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆへにみだれそめにし我ならなくに」
    (引用:『小倉百人一首・14番』より)

     

    @この短歌、こう読みます。

    「みちのくの“しのぶもぢずり”の衣の模様のように、私の心は忍ぶ恋心で乱れている。自分自身ではどうする事も出来ない。誰のせいだろうか。(あなたのせいなのです。)」

    少々恨みがましい歌です。女性から浮気を疑われ、それに答えた歌だとも言われています。「の」を効果的に入れる事によって、歌全体のリズムに勢いがあります。「みちのく」は「道の奥」ともいわれ、平安びとには異国のような、憧れの地でした。そこでつくられているという、「しのぶもぢずり」という布は、粋で素敵な品物だったのでしょう。歌にトレンドを入れる事により、当時的におしゃれな歌になっています。

    「伊勢物語」では在原業平が冒頭で引用し、藤原定家も本歌取りするなど、こぞって皆がこの歌に飛びついたのでした。

     

    A河原左大臣のこと。

    822年生まれ、嵯峨天皇の十二男。臣籍に下り、名前は源融(みなもとのとおる)と言います。賀茂川のほとり「河原院」に住んだ為、河原左大臣と呼ばれました。72歳で没。当時としては長命です。

    当時のトレンド・みちのくの風景を取り入れようと、陸奥・塩釜を模した庭を造りました。さらに趣向を凝らし、池に難波潟の塩水を毎日運び入れ、塩焼するなど風流な催しをしたそうです。河原院は皇族や貴人で賑わい、文化的なサロンとなっていきました。人脈形成など、政治的な狙いもあったようで、後々の出世に結びついています。(最終的な願い・天皇にはなれませんでしたが。)

    前回の光孝天皇と同様、光源氏の実在モデルの一人と言われています。

    『源氏物語』の六条院のモデルとも言われている河原院ですが、河原左大臣の死後息子が譲り受け、そののち宇多上皇に献上されました。河原左大臣は死後も河原院を愛するあまり幽霊として残り、宇多上皇の前に現れたという逸話も残っています。

     

    B振り回されない。

    新入社員のA子さんとB子さん。二人は全く違うタイプの人間でした。

    A子さんはとにかく女性陣の輪に馴染むべく、実権を握る最大派閥の女子チームの後を付いて回っていました。リーダー格の美人・C子さんが使っていると聞けば同じ化粧品を使い、グループ内で流行っているブランドやレストランは必ず押さえていました。トイレに行くのも、もちろんゾロゾロ集団行動。全ては話題に付いていくためです。

    B子さんはマイペース型。

    食事も自分の仕事に合わせて取り、人との付き合い方もシンプル。分け隔てなく誰とも話し、自然体で仕事をこなしていました。服やバッグも、自分の趣味にあったシンプルで小ワザの効いたモノ。

    A子さんはとにかく毎日が必死だったのに、のほほんとしているB子さんが疎ましく感じられました。

    「今に仲間外れにされるハズだわ…!」。内心、そんな風に思っていました。

    半年後、A子さんはクタクタに疲れ、B子さんはイキイキと働いていました。B子さんの周りには自然と人が集まっていました。B子さんには、独自の美的センスで選んだ雑貨の話や、一人旅の話、ちょっとマニアックな映画の話など、個性的で素敵な話題がたくさんあり、知らぬ間に人気者になっていたのです。

    A子さんはさんざん人に振り回されて、結局、心を許す友人が出来ずにいましたが、B子さんは、自分自身が発信する側の人間になり、共感する友人に囲まれていたのでした。

     

    C美的センスを磨こう。

    同性に人気のある人って、やっぱり魅力的な人が多いです。そんな人達はやはり流行に敏感。けれども、ファッション誌の写真そのままの格好をしても、なかなか素敵には見えません。自分自身の個性を知り、流行をうまく取り入れる事が大事です。

    誰かとかち合いそうなバッグをダイレクトに持つのではなく、色や形といったトレンドを取り入れて、さり気なく、人とは違うおしゃれを目指しましょう。最新の情報は大切なので、適宜集めて自分の持ちゴマにしましょう。

     

    D自分だけでなく皆へ。

    河原左大臣が皆に羨望のまなざしを向けられ風流人と讃えられたのは、全てにおいての「さりげなさ」でした。高貴な血筋でかなりのお金持ちでしたが、身なりや装飾物でそれを表現するのではなく、「庭に海水をひく」等、渋い方法で粋を表現しました。(キラッキラの衣服を着るより、その方がかなりの大金を使ったと思われますが)。

     

    あともう一つ。

    河原左大臣が人気者だったのは、「自分だけでなく、皆を楽しませる」事を第一に考えた…というのも、大きなポイントだったのでしょう。

     

    「さりげなくそれとはなしに散る桜」