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《おばあちゃんの恋袋 第三十四話》再会 〜恋に焦がれて〜

  • 2014年06月23日  吉井 綾乃  



    梅雨の晴れ間は貴重だ。今朝は早くから真夏の様な日差しが照りつけ、庭には綻びかけたアジサイと一緒に洗濯物の花が咲いていた。

    ところが、遅い昼食の後うとうととまどろんでいると事態は急転。強い風が吹き付けて来たと思う間もなく、空が真っ黒に変わると今までの天気は嘘のように激しい雨が降り出した。

    何とも忙しいことだ。まさにこれが青天の霹靂というものか・・。突然おきる思いがけない出来事は、良いことであれ悪いことであれ、心を揺さぶるもの。

    恋愛における青天の霹靂も然り。恋だからと言って嬉しい出来ごとばかりとは限らないが、良くも悪くも心が揺さぶられるに違いない、と思う。

     

    昔々、あまりにも昔のことなので霧の彼方に霞んでしまって思い出すのが大変よ。

    とにかく、ものがたりの発端は上京してすぐに勤めたアルバイト先だわね。

    未だ学校にも東京にもなじめずにいた頃だったとかしら。毎日、学校とアパートの往復だけの生活に何か物足りなさ感じて、初めてアルバイトというものを経験することにしたのだったと思うわ。少しでも自分でお金を稼いでみたいという思いと、新しい生活になじめない焦りみたいなものもあった様な気がするけど、今となっては、そのきっかけも霧の彼方よ。

     

    アパートと学校までのちょうど中間の乗り換え駅、新宿にそのお店はあったわ。不思議なことに、お店の名前は今でもはっきりと覚えているのだけれど、名前はNGね。

    そこは今で言うところのゴクセマ(極狭)レストランかしら。赤と白の大きな市松模様のテーブルクロスと壁に吊るされたたキャンティワインのボトル。テーブルを照らす赤くかわいいシェードランプ。駅の近くの雑居ビルの1階にあったそのイタリアン・レストランはとても小さくて可愛くて、一目で気に入ったわ。幸いなこと(?)に面接に行って即採用されたわ。そして、その日からエプロンを渡されてお店に立つことになったと、記憶しているのだけれどそれも霧の中のことだわね。

    お客様のオーダーを取ることとテーブルの後片づけ、それと大きな四面ステンレスのチーズ削り器で一心不乱にチーズを削る事。(本物の丸い大きなチーズの塊を見たのはその時が始めてだわ)仕事の内容はとても簡単よ。それに今でこそイタメシは広く認知されているけれど、当時は認知度も高くなくてお店が混んだりすることもなかったしね。だから却って困ったのだけれど・・。

     

    カウンターの奥の、狭い厨房はコックさん一人が立つのが精一杯。お客様がいる時はなんとか間が持つけれど、狭い店内に男女がたった二人でいる気まずさは大いに問題よね。でもそれ以上に問題だったのは若くイケメンの店長兼コックさんのことよ。(その当時は気持ちが一杯一杯で、彼の年齢とかイケメンだとかまるで考えたことがなかったの。だから、これはあと後の感想なのだけれど)

    彼がとても怖い。ニコリともしないし、いつも不機嫌そうに押し黙っているの。未だ若く田舎娘のおばあちゃんにとっては針の筵にいるようだったわ。一度も叱られた記憶が無いのに一挙手一投足を監視されている様な気になって、毎日おろおろ・おどおどしていたのよ。『なんて気が利かない鈍くさい奴だ』と思われているに違いない、ってね。自分から打ち解ける術もまだ身につけていないほど幼かったのよね。だから、初めてのアルバイトはそう長くは続かなかったのよ。

     

    それから3・4年過ぎたころだったかしら?東京の水にもすっかりなじんで、まるで生まれた時から東京に住んでいる様な顔をしてアルバイトの仲間たちと食事に出かけた時のこと。そのお店は仲間の知り合いのコックさんが働いていて、美味しくて行くたびにいつもサービスしてくれるということで大挙して押しかけたのよ。

    電話で連絡を入れていたらしく席に着くとすぐコック帽に白衣の男性が現れたの。現れた彼を見た途端「アッ」と言って、おばあちゃんは立ちあがってしまったわ。だって彼は初めてのアルバイト先・新宿のレストランの店長さんだったのですもの。おばちゃんの驚いた声に一瞬たじろいだ彼はまじまじとおばあちゃんを見ていたわ。すぐにはおばあちゃんだとは気づかなかったのね。「あ〜ぁ」満面の笑み。初めて彼の笑顔をみたわ。

     

    「お久しぶりです。その節はご迷惑をおかけしました」。開口一番はおばあちゃんのお詫びの言葉よ。まさかこんな所で再会するとは露ほども思っていなかったからとても驚いたけれど、驚く以前におばあちゃんにはお詫びしなくてはいけない理由があったの。何故って、最初のアルバイトは、おばあちゃんがお店に無断で勝手に辞めてしまっていたからよ。(面目ない話で大きな声で言えないのだけれど、お給料も取に行かずじまいだから挨拶もしていないということね)

    彼は戸惑いながらも「いいえ」と微笑みながら短く答えたわ。何事かとポカンとしているアルバイトの仲間たちに急いでいきさつを説明して、後は楽しい食事会。でもおばあちゃんの衝撃は自分でも持て余すほどの大きさだったのよ。だから、食事会はもう気もそぞろだったわね。

     

    思いがけない再会の衝撃もそうだけれど、それ以上の衝撃は彼がとても素敵な男性だったと気づいたことよ。あんなに優しい笑顔で笑うなんて・・。

    これが恋の始まりだったと程なく気がつくのだけれど、取り敢えず今日はここまでにしておきましょうかしらね。