TOP > イククルコラム > 《おばあちゃんの恋袋 第九十四話》夏の夜の夢〜背徳は蜜の味〜

《おばあちゃんの恋袋 第九十四話》夏の夜の夢〜背徳は蜜の味〜

  • 2015年08月17日  吉井 綾乃  



    『盆、盆とただ三日』とはよく言ったものだ。

    今年も、盆は三日で過ぎて行ってしまったが、昔々のお盆の日々が懐かしく思い出される。盆に帰省しなくなって久しいが、お盆のご先祖様の送り迎えや風習は親が元気だった頃の明るく楽しい夏の思い出だ。

    同じように、時が経ってからでも楽しく思い出せる、夏のように燃える恋の一つや二つは経験しておきたかったものだが…。

     

    さてさて、今日はね、この毎日の狂ったような暑さで思い出した恋話の一席よ。

     

    先崎さんと智恵子さんは、ある保険会社の同僚。でも、正確には同僚とは言えないかしらね。智恵子さんは地元採用のいわゆる、保険のおばさん。そして、先崎さんはというと本社採用の転勤族よ。二人の出会いは、智恵子さんが保険のおばさんとして働き始めた2年目の春のこと。先崎さんが智恵子さんの所属する支店に異動してきたのが最初ね。

    先崎さんの役職は課長様。保険のおばさんたちを束ねる営業所の所長という立場ではなくあくまでも、支社の課長だから智恵子さんとは殆ど接触もないし、所属する場所もちがっていたわ。だから、やっぱり同僚は間違いね。

     

    保険のおばさん?んっ?確かに、智恵子さんには同い歳のご主人と4歳になる可愛い女の子がいたけど、おばさんと呼んだらちょっとかわいそうだわよね。当時、智恵子さんは27・8歳だったはず。この智恵子さん、生まれつき色素が薄いのか髪も眼も外人さんの様に茶色。肌の色も色白というか、肌の色が薄く化粧を落とすとそばかすが目だったわ。そばかすの多さも外人さんの様だけれどスタイルの良さも外人さん並よ。ただ残念なことに胸とお尻は日本人並みだったかしらね。茶色の目の下にはノーブルで形の良い鼻と口が続き、月に一度、欠かさずに美容院で整える髪型はいつも同じだけれど、染める手間要らずのサラサラヘアー。聞けば、生粋の東北人の智恵子さんは、暫くおばあちゃんがハーフだと思い込んでいたぐらい日本人離れした美人さん。

    お相手の先崎さんはというと、一二度チラ見した程度だけれど、スーツの良く似合う渋い二枚目、という印象ね。智恵子さんの話では、二人の共通項が剣道だということだったけれど、確かに背筋がピンと伸びていたわ。年齢的には既に中年で彼女よりだいぶ歳上だったと思うのだけれど、洋服越しでも腹など出ていない、とても引き締まった身体つきにみえたわね。当時、この先崎さんは子どもたちの学校のこともあり、単身赴任だったみたい。

     

    支社と営業所、出勤する場所も違い、毎日顔を合わすこともない二人が、誰にも言えない秘密の間柄になってしまうなんて、不思議だわよね。

    一昔前に山口百恵さんの歌った『ひと夏の経験』という歌があるけれど、智恵子さんにとってはまさにそれだわ。

     

    「聞いてよ、綾乃さん。もぉ最高、すごくカッコイイの。今度、支社に転勤してきた課長が最高!もろ私好み。大人の男よ。大人のエロス」

    と、会社の飲み会の帰りにほろ酔い加減でおばあちゃんが手伝うスナックに一人でやってきた智恵子さん。思えば、興奮覚めやらぬ体で話してくれたその時が、智恵子さんの恋の始まりの合図だったのよ。

    何の利害関係もなく、安心して秘密を打ち明けられるおばあちゃんに先崎さんのことを話す時は、いつも『先崎課長さん』と呼んでいたのだけれど二人だけの時には、なんと呼んでいるのか聞いておけばよかったわ。

    そのカッコイイ先崎課長さんと智恵子さんが肉体関係を持つまではさほど時間はかからなかったわ。そう、春の出会いから夏、夏には既に二人は背徳の恋に夢中。

     

    「今、駐車場で別れてきたばかりなのに…。もう会いたいわ」

    と、逢瀬の余韻がまだ残ったかのように上気した頬と濡れた瞳で訴える智恵子さん。

    お互い家庭持ちなのに恋心は止まらない、先崎さんのことは分らないけれど、間違いなく智恵子さんは先崎さんに首っ丈だったわねぇ。

    おばあちゃんが手伝うスナックは智恵子さん夫妻が購入したマンションの1階部分にあり、彼女のご主人もよく顔をだす夫婦行きつけのお店。さすがに先崎さんを連れての来店は憚られるのか、はたまた、とても用心深く大人だという先崎さんが拒むのか、一度もその店に二人で来たことはなかったわ。

     

    携帯電話だって、重さが約3Kgもあって肩掛けベルトで大きなカバン。肩掛けタイプのショルダーホンだった頃のことよ。(でも、ポケベルはあったかしら)いったいどんな手段で、二人が逢瀬を繰り返していたのか、今思うととても不思議だわ。ただ、智恵子さんは自分の車を持っていたから、自分の車を運転して二人で決めた遠くの場所まで移動ができたのよね。そこで落ち合った後、彼女が先崎さんの車に乗りこんでホテルへ、というのが二人の行動パターンだったみたいだけれど。

     

    人は知らず、知らずいくつもの過ちや罪を犯してしまうものよね。

    頭では悪いことだと分っていても止められないのが道ならぬ恋、背徳の恋。とくに、背徳は蜜の味と言うわ。だから、刹那的な背徳の恋は甘い蜜の味で美智子さんを、いいえ、二人を虜にしてしまったのだと思うのよ。

    あけすけなベッドでの官能的な抱擁をおばあちゃんに話している智恵子さんは、もともとスレンダーで痩せぎすな女性。それに加えて、その頃の彼女は心身共に色々なストレス(傍から見れば贅沢な悩みかしらね)で頬までこけてしまっていたわ。そんな肉食女子とは程遠い容姿の智恵子さんの口から団鬼六ばりの描写を聞かされると、そのギャップでさらにエロテックさが増したものよ。

     

    休日が違う自動車会社に勤めるご主人は子煩悩で優しい人。休日が違うことは、かえって子育てに幸いして、若くして購入したマンションの支払のために働き出した智恵子さん。お互いに助け合いながら頑張っていたご夫婦だったのよ。それなのに、その頃に良く聞いたのは、『子どもっぽ過ぎる。頼りない。男らしくない』との酷評。これは、ご主人に向けられたもの…。それもこれも、先崎課長さんと比べての言葉なのが切ないわよね。

    余計なお節介と知りつつも、おばあちゃんは何の罪もないご主人と可愛い娘さんのために願わずにはいられなかったわよ。

    燃え盛る智恵子さんの恋の炎が『ひと夏の経験』夏の夜の夢で終わりますように、とね。