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《おばあちゃんの恋袋 第五十三話》恋の目黒川 〜同棲時代〜

  • 2014年11月03日  吉井 綾乃  



    秋の日はつるべ落とし。まだもう少し大丈夫だろうと油断していると、あっという間に夜の帳が落ちる。冬のそれとは違うが一日が短くせわしない。今日は何故か昔々の秋の日の夕暮時が思い出される。

    春の夕暮れ、夏の夕暮れ…、春夏秋冬、そして、今も昔も夕暮れ時は妙にせつない。

    そんな風に感じる人は少なくないのでは?どうやら、感傷的になってしまうのは人生の夕暮れ時のせいばかりではなさそうだ。

     

    今は昔。もう40年以上前のことになるわね。東京は目黒川のほど近くにアパートがあったと思召せ。当然、今じゃ跡形もなくなっているでしょうけれどね。

    今の若い方々が見たらビックリするか、眉をひそめるか、ま、どちらにしろ、その小さな二階建てのアパートを住居にすることは今の若い方々には無理だろうと思うのよ。それぐらい、今思い出してみると相当なおんぼろアパートだった気がするの。でも、住んでいた当時はどこにでもある家賃の安いアパートの典型みたいなものだから、おんぼろアパートだなんて一度も感じたことはなかったのよ。

    そのアパートで暮らしたのはほんの短い間だったけれど、楽しく幸せな時間だったわねぇ。

     

    当時、おばあちゃんは『学費ぐらい自分で頑張る』などと親に大見え得を切った手前もあり学業そっちのけで、アルバイトに精出していたわ。だけど、なかなか思い通りには事は運ばず、貧乏学生を絵に書いたような生活ぶりだったのよ。

    そんな中、とっても有り難いことに、多くの先輩や友達が衣食住に何くれとなく手を差し伸べてくれたわ。

    中でも、高校時代の親友、お春こと晴美は食事の心配からお小遣いの心配までしてくれたものよ。お春の一番のお気に入りがおばちゃんだったせいもあるのだけれど、彼女は昔から世話好きで仲間内でもお袋タイプの優しい子だったわ。お春は、高校を卒業して直ぐ東京の会社に就職していたのでその頃にはすでに立派な社会人。上京してしばらくは会社の寮に住んでいたのだけれど、好きな人ができて、二人で一緒に住み始めたのがその目黒川沿いのアパートというわけよ。ただ、二人の蜜月は2年目の秋の日、そう、ちょど今頃の時期に終わりを迎えることとなってしまったの。そして、彼がいない部屋での暮らしに耐え切れず、おばあちゃんにSOSを送ってきたのよね。

    それまでも、何かと助けてもらっている恩義もあるし、お春の傷が癒えるまで傍にいてあげようと決めて一緒に暮らし始めたのが40年前の秋の日よ、なんて偉そうなこと言っているけれど貧乏学生の分際だから、正直なところは着の身着のまま転がり込んだが正解。どう転んでも、おばあちゃんは居候で、お世話をかける方ですもの。

     

    お春が異常に一人でいることを嫌がった、その原因は思うに、それはそのアパート、二階に3部屋、一階に3部屋の住人のほとんどが同棲もしくは内縁のカップルだったせいじゃないかしらねぇ。類は友を呼ぶを地で行くようなアパートだったのですもの。特に隣の住人とはとても懇意にしていたし、お隣さんの生活音が全部聞こえてくる様な安普請の部屋で、一人暮らすのは酷よね。

    お春の部屋は二階の角部屋、お隣さんは真ん中。おばあちゃんも良く知っているこのカップルは島根県から駆け落ちしてきたという男性が21歳、女性が26歳の訳アリさん。そして、その隣が大学生同士のカップルさん。一階のお春の部屋の下に住む二人は見るから怖いおじさん(お春の同棲相手が銭湯でからくり紋々を確認)と水商売ふうのおばさんのカップル。今風に言えば風呂なし2Kの狭いアパートだけれど独り暮らしの人はいなかったのよ。

     

    目黒駅を出て権之助坂を真っ直ぐ下り、左手にその頃できたばかりのラブホテル・目黒エンペラー、(今じゃ伝説と化しているらしいけれど)を見ながら目黒川沿いを少し入るとそのアパートはあったのよ。

    お春が彼と同棲中に言っていたわ。

    「目黒エンペラーに行きたいなぁ行ってみたい。たまには良いでしょう。銭湯行く代わりに」

    って彼を誘うんだって。残念ながら、一度もそれは実行されずに二人の恋は終わってしまったのだけれどもね。

    彼が出て行って、お春とおばあちゃんが銭湯に通う道すがらにも目黒エンペラーの投光器からの光が見えていたわね。(昔は規制がなかったのか、おばあちゃんの記憶違いか…)

    そんな時、お風呂道具を入れた風呂敷包みを抱えながら、

    「いつも一緒に、こうして通ったのよ」

    そう言って、お春がそっとおばあちゃんの手を握りしめてくるの。言葉もなく握り返すと

    「男のくせに、私より長湯ぐらいだったの。お風呂が大好きだったのよ」

    と、お春。

    しばらくの間、銭湯に行くたびにお春の寂しさにシンクロしておばあちゃんまでメゲテしまいそうになったものよ。

     

    そんなお春を元気づけたいと、アルバイト代が入った日、少々奮発してこれも目黒駅前から少し下ったところにあったウエスト洋菓子店(今は閉店して、ないらしい)でケーキを買って帰ったの。ところが、これもまずかった…。ウエストのケーキは彼がお春の誕生日とか、何か二人の特別の日の御用達だったのよね。またまた、彼との思いでの地雷を踏んでしまい作戦は失敗。

     

    恋の痛手を癒やすには時間がたくさん必要よね。これは、今も昔も変わりがないでしょう?