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《おばあちゃんの恋袋 第八十二話》私の秘密〜事実は小説より?〜

  • 2015年05月25日  吉井 綾乃  



    早いものだ。五月も終わる。

    沖縄や九州はすでに梅雨入りをしたのであろうか?

    気象庁が声高に『梅雨入り宣言』をしなくなったためかどうも、聞き洩らしたようだ。

    天気予報は予想の情報にすぎないから宣言してはまずいと言うことのようだが…。

    しかし、情報の一人歩きはよくあること、人の噂もその類であろう。人の噂もなんとやらとは言うが、標的になるのは勘弁願いたいものだ。

     

    さてさて、今日はそんな噂の標的にされてしまった女性、加奈子さんのお話。

    加奈子さんは年の頃なら34・5、いわゆる熟女よね。今から40年ほど前におばあちゃんがOLの真似事をしていた小さな会社の会長秘書をしていた女性よ。

    会長といっても実務は婿養子の社長がとり仕切り、会社に顔を出すこともほとんどないお方だったわ。だから、おばあちゃんから見れば、相当お年も召されていたことだし、会長とは名ばかりのただの優しいおじいちゃんだったわね。(実際は鶴の一声を持つ権限者だったみたいだけれど…)会社にほとんどいない人の秘書と言うのもおかしな話でしょう? それと、加奈子さんの入社があまりにも突然だったこともり、最初の加奈子さんの噂は会長の隠し子説よ。

    当時、会長の奥さんはすでに亡くなり、2号さん、お妾さんだった人と暮らしていたわ。

    この会長さんの奥さんと2号さんは昔の人が良く言った、いわゆる女腹でどうしても女の子しか授かることがなかったらしいわ。で、長女が婿養子を迎えて、会社の社長に据えたというわけね。噂では『跡継ぎにする男の子が欲しかった会長が他の女性に産ませた子。会長自身が女腹(?)なので残念ながら女の子だった。それが、加奈子さんである』と、言うものよ。

     

    おばあちゃんが会社に入った頃は、この噂はすでに、沈静化していたわ。でも、完全に加奈子さんは他の女性社員から浮いていて村八分状態だったわね。それには、会社のお局様の意思が相当色濃く影響していたのよ。簡単にいえば、加奈子さんがお局様の意地悪スイッチの地雷を踏んでしまったのでしょうね。他の女性陣の安っぽい事務服と違う一人だけの制服、ベーシックでタイトなベストスーツが良く似合う加奈子さんは、それだけでも嫉妬の対象になりそうだったわ。でも、標的になった加奈子さんはどこ吹く風という風だったわね。少なくても、おばあちゃんにはそう見えたわ。

     

    噂は、勝手に尾ひれをつけて飛び交い、加奈子さんには離婚歴があり、既に子供もいてその上、誰かの愛人説まであって、なにがなんだか…。

    「会社にお茶汲みにだけ来ている給料泥棒!あんな得体のしれない女に高い金払っているなんて、会社も会社だわ」

    と、怒り心頭なのは会社の経理の重鎮、お局様よ。確かに、来客にお茶を出すのは秘書兼受付嬢の彼女の仕事だし、お給料の実態を知るお局様が言うのだから、お給料も高いのでしょうけれど、そこまで言うかしらん?お局様と加奈子さん、確かに年齢も近いし、お局様は自分の仕事にプライドもあるでしょうから気持ちはわからなくはないけれど、でも、正直なところ若かったおばあちゃんの意見としては、おばさん(お局様)の嫉妬心の表れだと思っていたわ。

     

    おばあちゃんがその会社にお世話になる約一年前、その入社の唐突さや今まで置いてなかった秘書兼受付嬢も加奈子さんのために用意したようなポジションだったため、女性社員だけでなく男性社員にも怪訝に感じていた人はいたようよ。でも、明らかにコネで入社しているとわかっても、誰のコネ入社なのかが分っていないのだから、皆の加奈子さんに接する態度がぎごちなくなるのもわかるわよね。

    仕事が終わってからの食事会や飲み会に加奈子さんが顔を出したことは、おばあちゃんの記憶の中では一度もないわねぇ。お局様のご意向が強すぎて誘われなかったのかはたまた、加奈子さん自らが拒否したのかは、シタッパのおばあちゃんにはまるで分らないことだったけれど、だから、なおさら噂以外の加奈子さんを知る人は誰もいなかったのよね。

     

    季節はちょうど今頃かしら、とてもいい季節で…もう少し夏が近づいた頃だったかしら?土曜日の夜のことよ。あれは、日生劇場で平幹二朗のオセロを観劇した後だったわね。劇場からは、ぞろぞろとお客さんがはけて行くところよ。日比谷公園を左手に見ながらゆっくりと駅に向かっていると、街路樹の下を仲睦ましく指を絡ませあいながら、おばあちゃんの前を歩くカップルがいたの。彼らも、劇場を出てきたところの様だったわ。ただ、二人とも女性だったから、カップルとは呼べないかもしれないけれど、でも、二人の間の雰囲気はまさに恋人同士のそれだったわ。思わず知らず、おばあちゃんの目はその二人に釘付けよ。

     

    一人は、ストライプのベルボトムジーンズに太い革ベルトを締めた長い黒髪の女性。何気なく振り向いた顔には大きなサングラスをかけていたわ。決して若くはないけれど、その当時の最先端のお洒落さんだわ。それにとっても洗練されてカッコ良い!お若い方には馴染みがないかもしれないけれど、女優の小川真由美さんに良く似ていたわ。すると、もう一人の彼女も小川真由美さん似の美女に微笑みかけながら少し、後ろを振り向いたのよ。『あっ』思わずおばあちゃんは声を出してしまったわ。だって、街路樹と歩道を照らす街灯の下にいる美女の連れは会社の加奈子さんだったのですもの。加奈子さんも、おばあちゃんに気付くと一瞬だけ困ったような表情をみせたわ。けれど、後は軽く会釈をして何事もなく二人で立ち去って行ったわ。絡み合っていた指はもう解かれて、手も握り合ってはいなかったけれど…。

     

    後に、美女の正体がわかったわ。彼女は会長が溺愛していると言う末娘だったの。以前から、会長にはどこかの劇団で女優をしている40歳ぐらいの独身の娘がいると言う話は聞いて知っていたわ。年齢的にも辻褄が合っているわよね。

    その偶然の出会いの後からは、おばあちゃんの中では二人は恋人同士よ。でも、その当時はジェンダーについて語られることも同性愛者に対す理解など皆無に近かったの。だから、ずいぶん苦労しただろうなと思うのだけれど、お局様の嫌がらせや噂など、ものともしていなかったのは、二人の絆が本物だったからなのでしょうね。