TOP > イククルコラム > 《おばあちゃんの恋袋 第八話》恋の道行 〜愛の終着駅はどこ?〜

《おばあちゃんの恋袋 第八話》恋の道行 〜愛の終着駅はどこ?〜

  • 2013年12月17日  吉井 綾乃  



    さりとても 恋はくせもの

    だから互いに思い思われ、そして周りからの祝福を受けて恋愛を成就出来た二人は本当の果報者に違いない。でも幸せな二人の恋物語を恋の道行と呼ぶ人は希有、と思う。

     

    さて、今どきの女子やおの子は江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作者の近松門左衛門が書いた作品が好きだったり興味を持っていたりするかしら?

    宝塚歌劇が好きな今どき女子やおの子だったら去年の春に花組が近松・恋の道行を上演しているから、知っているかもしれないわね。

     

    今は昔の道ならぬ恋・世間からは受け入れられない恋物語を知るのも一興じゃないかな、とおばあちゃんは思うのよ。それに知っていても損はないでしょう?

     

    だから今宵は、近松を知っている人も知らない人も少々お付き合い下さいな。

    今は昔の江戸の世の男と女の情愛の世界を描いた近松の作品の多くが、舞台や映画・ドラマとして取り上げられているから近松を知らない人でも見たり聞いたりしている人は多いはずよ。それが近松の作品だと気づかなくても、映画やドラマを見た人はきっと思うはずよ。

    時代背景こそ違ってはいるけれど時代を今の現代に置き換えても、恋に焦がれる切なく哀しい思いや思いのたけは変わらないのね、って。

     

    ・・十五夜の月にも見へぬ身の上は心の闇のしるしかや。今置く霜は明日消ゆるはかなく譬(たとえ)のそれよりも先に消え行く。閨(ねや)の内いとしかはひと締めて寝し移り香も・・・。

     

    これは近松心中天の網島の道行文の一節。現代文に訳すと

     

    ・・十五夜の明るい月の光の下でさえ、自分たちの身の上を見通す事が出来ないのは心の闇のせいなのでしょうか。儚い霜よりももっと儚くきえてゆく二人の命。閨の中で”愛しい、可愛いと抱きしめて寝た移り香も・・・。

     

    何と情愛に溢れた艶のある名文だろうと、おばあちゃんは身震いしちゃったわ。

    だって十五夜の明るさと二人の心の闇の見事なコントラスト。そして閨の中で愛しい、可愛いと抱きしめ合う遊女小春紙屋治兵衛の情景が目に浮かぶもの。

    そもそもこの作品は近松世話物の最高傑作と言われているのだから、あたりまえと言えばあたりまえの感想だったかしらね。

     

    それとね、道行と聞くとどうしても負のイメージが拭えないの。道行の意味は、目的地までの道程だから、別に負のイメージはないのになぜかしらね。

    きっと近松の心中物の影響のせいね。近松の物語の終着駅は死への道行が殆どだもの。だからだと思うわ。でもそれっておばあちゃんだけじゃあない様な気がするけれど、どうかしら。

     

    愛の執着〜愛の終着。同じフレーズよ。これって言葉遊びのダジャレだけどそんな言葉遊びは放っておいて、おばあちゃんの長い人生経験からの深い考察によると、愛に執着すればするほど、その結果の終着駅は北の果ての凍てつく街になる、これが結論よ。

    でも愛に執着することって、今どきの女子にも誰にでもあることよね。

     

    そこでちょっと考えてみて頂戴な。愛のカテゴリーの中に執着は入る?入らない?

    おばあちゃんは愛にはカップルの数だけの形があっていいと思っているけれど、お互いがどんなに思い合っていても成就出来ない愛のかたちもあるわよね。そしてその成就出来ない愛が執着を生むのだとしたら難しいわよね。

     

    近松の作品にはこの世では添い遂げることが叶わぬ、成就出来ない二人の恋の道行が描かれて二人の悲恋が江戸時代の庶民の涙を絞りつくし大いに評判を博した訳だけれど、これがお互いを自分だけのものにしたいと言う強い執着心を前面に出した作品だったら現在まで名作としては残らなかったでしょうね。でもお互いへの執着心の結果が死への旅立ち、死への道行となったと考えるのは間違っていないと思うのよ。

     

    横恋慕やストーカーの執着心を愛と呼ぶのは間違いだけど、愛も恋も理屈じゃ説明がつかないし止めても止まらないのが恋心。

    歌の文句じゃないけれど、愛しちゃいけない人に恋することもあるわよね。

    おばあちゃんにだって経験があるもの。だからどんなに愛の形が変わっていてもおばあちゃんから見れば恋は人生の華よ。だから今どき女子もおの子も一杯恋して欲しいと思うのよ。

     

    男と女の馴れ初目はどんな時でも恋の道行の第一歩。だからこそ一期一会の気持ちはとても大切よね。いろんな人に出会って恋の道行のお相手を見つけて頂戴。

     

    近松の恋の終着駅は死への旅立ちだったけれど、其れは今は昔の江戸時代の物語の中でのこと。今を生きている皆にはハッピーエンドの恋の道行がいくらでも待っているのよ。

    ファイト!

     

    おばあちゃんはといえば未だに愛の終着駅がどこなのか見つけられずにいるけれど、若い皆には見つける時間がたくさんあるわ。

    だから恋する二人の終着駅が幸せの街でありますようにと願っているわ。