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《おばあちゃんの恋袋 第六十二話》ペルソナの恋〜愛の記憶〜

  • 2015年01月05日  吉井 綾乃  



    慶春。

    今年こそか、今年もかはそれぞれ異論もあるところだがすべからく『素敵な一年』であります事をと願わずにはいられない。

    新しい年もめでたく開けて、これからが冬本番。ますます寒さが厳しさを増してくる。

    そんな冬の一日は炬燵で猫と一緒に寝たふりを決め込むのが一番、…。というのは老人の特権、ではなく老人の証。恋の季節は時を選びはしない。皆の衆、初春に恋始めはいかがかな?

     

    さて、今日は新玉の年に相応しい恋話(こいばな)をば、と思ったのだけれどお正月に相応しい恋話ってどんなかしらね?う〜ん難しいわね。

    恋は時を選びはしない、ということでお正月らしくなかったとしても堪忍してね。

     

    前にもお話したことがあったと思うのだけれど、今から30数年ほど前、おばあちゃんは一時期、ラブホテルの支配人モドキだったことがあるのよ。その時に出合った従業員の方々は出入りの激しさも然る事ながら、いろいろな背景を背負った人たちの集まりだったの。その中に尚美さんという女性がいたのだけれど、今日はこの尚美さんのお話よ。

     

    普通のホテルと違って、ラブホテルの業務といえば清掃作業がほとんど。だから、従業員は昼と夜のフロント係を除けば、すべてお掃除要員なのよ。清掃業務としたら時給は他の業種よりは高いけれど、なかなか、長く勤めてくれる人がいないので常時、従業員募集中みたいなものね。そんな時、飛び込みで働きたいと自らやってきたのが尚美さん。本人はお掃除要員のつもりで来たらしいけれどその時は、中国から地元の企業に研修に来ていた三人のグループをアルバイトで採用したばかりだったので、お掃除要員に空きはなかったの。でも、昼のフロント係のベルさん(名前が鈴木)は母子家庭で働きすぎると手当が打ち切られてしまうというので、昼のフロント係を後一人探していたのよ。そのことを尚美さんに告げると無表情のまま、『フロント係はできません』とけんもほろろ。内心、なんて感じが悪い人だろうと思ったわよ。当然、不採用って。ところが、次に、

    「どうしても、働きたいんです。工場だとここより時給は安いしどうしてもお金貯めたいんです。お願いします」

    と、また無表情で言うのよ、ところが、どうしても働きたいと言う意欲もお願いの気持ちも、まるで伝わってこないの。何だろう、この違和感と思いながらまじまじと彼女をみると、確かに目は真剣…、そうに見えるけれど整った顔の眉一つ、口角一つ動かさないはどういうことだろう。彼女の不思議さに押し切られる様にして、最初は一週間のうち一日、そして徐々にフロント業務に移行するという約束で働いてもらうことにしたのよね。

     

    尚美さんは履歴書によればおばあちゃんと一歳違いよ。尚美さんがお姉さんだから、あの当時32・3歳だったかしらね。対面式のフロントのホテルだったから、フロント係としては若すぎず、ちょうど良い年齢よ。それに彼女の仮面のような無表情さもかえって、ラブホテルには合っていたかもしれないわね。それでも、ご当人は人前に出るのがとても苦手そうに見えたわ。

    実は、尚美さんには異国の血が混じっていて、とても整った顔の持ち主。なのに無表情と、とても小柄でいつも人の影に隠れるようにしているせいで、彼女が綺麗な人だということに周りの人たちは気付けないのよね。お化粧もしていなかったから、なおさらだわ。もしも、彼女が表情豊かで、活発な女性だったらもっと高賃金の仕事もみつけられただろうにと思うわよ。そんな彼女には結婚を約束している彼がいたわ。

     

    その地方都市には、様々な事情で親許で暮らすことが出来ない子供たちが共に生活している学園があったの。彼女は小学校入学時からその学園で育ったそうよ。尚美さんの彼は小学校の2年生の時に学園にやって来た2歳下の男の子。何故かその男の子は尚美さんが大好きでいつもそばに居たがったそうよ。それからずっとその彼は、『こんな私を好きでいてくれるんです』と尚美さんが、これまた無表情で教えてくれたわ。

    尚美さんの彼は、その当時、大阪の老舗の日本料理屋さんで板前の修業中。そして、二人の夢は二人のお店を持つことよ。尚美さんが頑張るのはそのためだったのよ。

    フロント係はお客さんの出入りがなければ、植木のお手入れぐらいしかすることがないし教えることもないのよ。だから、尚美さんとは年齢も近いせいもあり、色々なお話をしたわねぇ。

    母上と父上、どちらが日本人なのか尋ねた時。父上が『イランとかイラクとかです。良くは知らない』と答え、母上は『精神病院にずーっと入院中です』と一層、無表情になるのを見てからは彼女の生い立ちの質問をしないことに決めたけれど、大阪にいる彼のことは良く話題にしたわね。

    交通費も貯蓄に回すので、もっぱら手紙のやり取りなのに彼は、手紙が苦手で尚美さんが五通出すうち一通返って来るか来ないかだけど、逢いたい気持ちがわかる内容だとか、お金の管理はみんな尚美さんがしていて毎月忘れずに彼がお給料の大半を現金書留で送ってくるとか、ほとんどのろけ話に近いものよ。そんなのろけ話の時にさえ無表情のままなのは、幼いころに愛された記憶がないせいなのかもしれないわね。確証はないけれど…。

     

    お店といえば客商売、にこやかさとはほど遠い尚美さんが接客業は無理じゃないかな、というおばあちゃんの心配をよそにそれから一年足らずで二人は結婚して夢を実現させたわよ。偉いわよねぇ。

    ただし、結婚式や新婚旅行は最初から諦めてお店一筋よ。

     

    おばあちゃんもその頃街を離れることになってしまったけれど、今ではきっと尚美さんは幸せな笑顔を持つ立派な女将さんになっていると信じているの。