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《おばあちゃんの恋袋 第十一話》不倫は文化? 〜愛と呼ばないで〜

  • 2014年01月13日  吉井 綾乃  



    人の気持ちは変幻自在。ましてや恋心は一筋縄では行かぬ。 当のご本人でさえ制御不能なのは、恋をした経験者なら みな百も承知。

    さて殺人寒波が襲ってくるとの気象庁の発表を聞いたからではないだろうが、今年は一段と寒さが厳しく感じられる。 この身を切られるような寒さに古来、新年・お正月と言えば家族と迎えるものと大体相場は決まっているが 道ならぬ恋、愛してはいけない人に思いを寄せてしまった、そう俗に不倫関係にある男女のお正月はいったいどんなものなのだろうかと 身を切る繋がりの発想なのか、ふと考えてしまった。

    そんな不倫カップルの人達も幸せな新春を迎えることは出来たのだろうか。

     

    皆も覚えているかしら。 何年か前に 某男性俳優が自分の浮気の釈明に不倫は文化と発言してだいぶマスコミに叩かれたこと。 別に彼の味方をする訳ではないけれど不倫は文化と言うフレーズだけが一人歩きしちゃったのよね。

    それでその年の流行語大賞にノミネートされるほど世間を騒がせたけれど(まぁこれはマスコミの何時もの常として大目に見るとして)彼が本当に言いたかったことは マスコミのミスリードのせいでまるで伝えられていなんじゃないかしら。

    おばあちゃんが思うに、彼はいつの代(よ)も男と女の色恋にはその時代時代を背景に 文学やあらゆる芸能・芸術に深く関わっている、とその様な意味のことを言いたかったのではないかしら。

    それならとてもよく理解できるわ。 素晴らしい歌や作品が恋心から生まれていることは皆の承知の事実ですものね。 不倫はともかく 人を恋する力が歴史を彩り多くの素晴らしいものを残しているとすれば不倫は文化と言うのも強(あなが)ち間違いとは言えないような気がしてくるわよね。

    只、おばあちゃんとしては不倫を愛と呼ぶのは少し抵抗があるのよ。 でもだからと言って已むに已まれず道ならぬ恋に足を踏み入れてしまった男女の恋心を否定するつもりは更々ないの。 おばちゃんにだって身に覚えがないじゃなし、寧ろ恋は人それぞれ・その時々に恋心も形を変えるものだと思っているもの。 でもね、愛と呼んじゃいけない気がするの。

     

    江戸時代に遡れば、不義密通は死罪ですものね。 それに若い皆は知らない人も多いでしょうけれど、日本にも姦通罪と言う法律が戦前まであったのよ。 昭和22年に廃止された法律だからおばあちゃんが生まれた時にはもうなかったけれど その法律では体の関係が何度も繰り返された時だけ罪に問われたらしいわ。 考えたらえげつない法律よね。

    恋する心が罰せられなかったのは幸いだけど、何と云ってもおばあちゃんが憤慨するところは 江戸時代でも戦前の法律でも 夫、男性が妻以外の女性と性的関係を何人と持とうが何ら罰せられることはないのに 何故妻、女性の時だけその法律が適用されるのか、その一点よ。 皆さんもそう思わないこと。 理不尽でしょう。

     

    この時期 暮れなずむ公園のブランコを見ると、おばあちゃんには決まって思いだす光景があるの。 小学1年生の男の子を膝に乗せている22歳のおばあちゃん。あんまり喜んでいる様には見えない男の子。ちょっと困っているのかな。無理に抱き寄せているのかも。「ママが好き?」 あ〜、神様お許し下さい。(いた)(いけ)ない子供に無用の不安感を与えてしまったことを後悔しています。 自分のお母さんが嫌いな子供なんていないのに・・。

    その頃おばあちゃんは会社勤めのOLさん。その男の子はその時勤めていた会社の上司の一人息子。 あまりにもありがち過ぎて皆にお話するのが ちょっと気恥ずかしい気持ちで一杯なのだけれど・・。でも有り体に白状するわ。 其の当時のおばあちゃんの思い人は、奥様も子供もいる会社の上司だったのよ。 どんな理屈をつけようとも非はおばあちゃんにあることは認めているの。それは倫理観や道徳観念の点だけの問題からではなく 全面的な非ね。 だけど、芸能ニ 別に彼の味方をする訳ではないけれど不倫は文化と言うフレーズだけが一人歩きしちゃったのよね。

    ュースでの不倫報道で「好きになった人にたまたま奥さんがいただけ」と堂々と答えている女優さんかタレントを見たことがあるけれど 心情的にはおばあちゃんも同じだったと思うわ。

     

    近頃は上司の家に新年のご挨拶に伺う等と言う風習も殆ど見られなくなってしまったけれど、おばあちゃんの若い頃にはまだ新年のご挨拶回りが当たり前のように行われていたから、その記憶もお正月に女子社員数人が彼の家に新年のご挨拶に伺った時のものだと思うのよ。 彼の子供を近くの公園に連れ出したのかしら。黒のマキシコートに黒のロングブーツ。 若き日のおばあちゃんはとってもお洒落で魅力的。 それでも一緒いるかわいい男の子は何かとても窮屈そう。あれこれ質問攻めにして困らせたのね。 今でもはっきりとその時の情景が浮かぶのはよほど後悔の念が強いからだと思うのよ。

     

    確かに愛の形には結ばれた数だけの愛の形が有って良いと思うけれど誰かを傷つけないと成就しない愛ってどうなのかしら。 それも愛と呼べる?

    でも一方 何もかも打ち捨ててもいいと思えるほどの愛に巡り会いたいとも願ったりするものね。本当に悩ましいところだわ。

    おばあちゃんに限って言えば人を傷つけてでも奪いたい・奪われたいと願う相手に巡り合わなかったということかしらね。