TOP > イククルコラム > 《おばあちゃんの恋袋 第十九話》サヨナラが言えない 〜フェードアウェー〜

《おばあちゃんの恋袋 第十九話》サヨナラが言えない 〜フェードアウェー〜

  • 2014年03月10日  吉井 綾乃  



    桜三月、弥生の月は別れの季節。 そしてまた旅立ちの季節でもある。

    この季節になると、いつもきまって「仰げば尊し」の第一小節目の歌詞とメロデーを思い出す。今ではこの唱歌を歌う学校はあまりないようだが、明治以来の卒業式の定番曲だ。 歌詞の古臭さから若い人たちには馴染みにくいかもしれないが哀愁を帯びたメロデーが年を重ねた身には深々と沁みる。

    神代の昔から、人は皆人に出会い人と別れ、会うと別れを繰り返しまた繰り返して時代を紡いできた。

    恩師や友達との別れも、もちろん悲しいものだが愛した人との別れはカナシイが違う、字も色も違う、と思う。

     

    もう卒業シーズンなのね。 卒業以外にも人には様々な別れの時が訪れるものだと思うの。 だからおばあちゃんの様に年を重ねれば、重ねた分の別れの時があるものなのよ。  只、お付き合いしていた殿方とのお別れは他のお別れと一緒にはできないわねぇ。 男と女の別れは他の別れとはベクトルが違っていると思うのよ。

     

    お別れの言葉「さよなら」、たった四文字。声に出してもとっても短いワンフレーズ。でもこのたった四文字がどうしても彼・彼女に伝えられない、そんな思いをした経験のある人はいるかしら? あぁそうかぁ。今は携帯電話と言う神器のメールと言う手があるから、そんな経験は少ないのかもしれないわね。

     

    これはそんな神器など影も形もない昔々のお話。 おばあちゃんの高校時代の同級生のお話よ。 彼女は地元ではかなり大きな造り酒屋の一人娘。ゆくゆくはお婿さんを迎えてお店を継がなくてはいけないと言う宿命を背負っていたの。もともとは東京の学校に進学したかったのだけれど、ご両親の傍にいて欲しいと言う強い意向に負けて泣く泣く地元の短大に進学したのよ。

    そんな彼女が短大の二年生の夏休み、地元の海にキャンプに来ていた東京の大学生と出会い、一目で恋に落ちたらしいわ。そしてこの恋が一夏の恋では終わらなかったのね。 今の様に便利な神器もない、家の電話はご両親のてまえ使えない、アパート暮らしの彼は電話なんか当然持っていない、無い無い尽しの二人の通信アイテムは、毎日のように書いていた手紙だったようね。

    それに交通の便だって良くは無いわ。今の様に新幹線なんかない時代ですもの。彼は日曜日に彼女に合うために土曜日の夜の夜行列車(鈍行)を良く利用したみたい。確かに旅費は安く済むけれど五時間以上かかったはずよ。

    その頃彼女は親の決めたお婿さん候補との見合が決まってそのまま行けば間違いなく卒業、即結婚と言う危機的状況にあったらしく、東京から会いに来ていた彼が帰る時に咄嗟にそのまま列車に乗って田舎を出奔したらしいわ。

     

    彼女からおばあちゃんに長い手紙が届いたのは彼女が上京して三カ月もたっていない頃よ。 そこには上京した経緯と一つの頼み事が書かれていたわ。彼女の頼み事を叶えるためにおばあちゃんは彼女を訪ねたの。 再会した途端に彼女の目から涙が溢れて、彼女自信がまいた種とはいえ突然親元を離れ、知っている人が誰もいない街でさぞや心細かったのだろうと思うと、なんとか力になってあげたい気持ちになったものよ。 彼女はその時妊娠中。今思えばそのせいで感情も不安定だったのかしらね。

    そう、彼女の頼み事とは産婦人科への付き添い人だったの。 病院はすでに受診していて、優生保護法(今は母体保護法に改名)に基づき人工中絶をするのだけれど既に妊娠してから五カ月も経っており日帰りの手術は無理との診断で病院に一泊入院する為、おばあちゃんに白羽の矢が立ったと言う訳なのよ。

    彼は学校をやめて働く事も考えたらしいわ。でも残念ながら二人で話し合って決めた答えは赤ちゃんの誕生ではなかったの。

    一晩中彼女に付き添って、人工的に起こした陣痛に苦しむ彼女の背中を擦りながら若かったおばあちゃんはただおろおろするばかりだったわ。 女ってかなしい・・。

     

    そんなことがあって二カ月位がたった頃、彼女が突然おばあちゃんのアルバイト先に現れたの。聞けばこれから田舎に帰るけれど帰る前に一言お礼が言いたくて立ち寄ったと言うのよ。でも彼には何も告げず、置き手紙も無しに帰ると言うの。

    妊娠の一連の出来ごとの前後あたりから、彼との別れをずっと考え続けていたそうよ。憔悴しきって二か月前に会った時より一回りも小さくなった彼女に別れの理由を尋ねる気にはなれなかったわ。 だから彼にお別れの言葉が言いだせないのはまだ彼のことを愛しているから、そして別れの理由は本人にも説明が出来ないのだろうと、勝手に解釈したの。

    そのまま彼女を一人にする気にはなれず、アルバイトを早退して上野駅まで送ることにしたわ。 (昔の上野駅の構内には今の若い皆には想像が出来ないだろうけれど真っ赤な公衆電話がズーラーっと何列も並んでいたのよ) 時間はもう彼が学校から戻っている頃あいだったのかしら。 彼女は暫く電話の前で佇み公衆電話のダイヤルを回したわ。最後に彼の声が聞きたかったのね。電話口にいるアパートの管理人さんに彼を呼びだしてもらって・・、でも受話器を耳にあてたまま彼女の口からは何の言葉も出なかったわ。「さようなら」の四文字さえも、溢れ出るのは彼女の涙だけ。

    列車の発車ベルが鳴っても彼女の涙は溢れ続けて、「気をつけて帰ってね」。おばあちゃんもその一言を伝えるのが精一杯だったわ。

     

    その後、彼に会う機会があった時彼が言っていた言葉。「彼女が選んだ別れを恨んではいない。彼女がいなくなる前から、彼女の姿が少しずつ〃消えていくのが解かっていたから」。 恋のフェード・アウェーね。