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《おばあちゃんの恋袋 第四十七話》うたかたの恋 〜今宵一夜〜

  • 2014年09月22日  吉井 綾乃  



    空が高い。一気に秋本番の様相を呈している。

    秋は夕暮れ。まさに、秋の夕暮は“いとをかし”な枕草子の世界。そして夜。夜ともなれば虫の声が庭に響き“はたいふべきにあらず”。

    毎年秋になると、何故か人恋しくなってしまうのは長い夜のせいなのだろうか?

    そんな人恋しい秋の夜長には、誰でもいい心優しい人がそばにいてさえくれたら幸せなのに、と思う。

     

    今は昔。おばあちゃんがまだ若いエネルギーに溢れていた頃のことよ。

    昔も今も、華やいだ夏が終われば季節は秋へ。長い秋の夜は、独り寝は寂しいもの、夜の帳(とばり)が街のネオンにさそうのよ。とかなんとか、いろいろと理由をつけては夜遊び三昧の頃のこと。

    秋に限らず、春夏秋冬それぞれの季節ごとに何かと理由をつけては夜の街に繰り出していたことは、いったん脇においときましょうかしらね。

    とにかく、それもこれも若いエネルギーのなせる業。若い時にはまるで気が付いていなかったことだけれど今となっては帰り来ぬ青春の良い思い出だわねぇ。

     

    今から40年ぐらい前のある秋の日の休日。一人暮らしのつれづれによく大好きな映画を見に行くことが多かったのだけれど、その日の午後も東京は飯田橋の名画座にでかけたわ。2本立ての映画を見終えると6時ぐらいになっていたかしらね。お腹も空いていたし、このまま待つ人もいない部屋に帰るのは嫌だったので、駅前の公衆電話で、とあるところに連絡。相手は五反田のスナックのママ。

    「ママ、お腹空いちゃった。何か食べるものある?」

    「あぁ、綾ちゃん。うん、サンマがある。ごはん炊いておくから早くおいで」

    いいわねぇ。持つべきものは友よ。といっても、彼女はおばあちゃんよりも年上で、小学校3年生と6年生の娘をを持つシングルマザー。おばあちゃんとママの歳はだいぶ離れていたけれど有り難いことに、彼女からは多くの好意と信頼までも与えられていたの。もちろん、おばあちゃんもママが大好きだったわよ。

     

    今でもあるかしらねぇ?五反田駅を降りて目黒方向へ右折すると線路沿いに五反田三業地と呼ばれていた一角があったのだけれど・・・。【三業地】というの置屋・見番・待合三業がそろった場所のことよ。

    ママの経営しているスナックは、その三業地の中にあったの。おばあちゃんの記憶によれば、付近には有名な某化粧品会社の本社や、隣駅の大崎には大日本印刷の工場があったり、近くには国鉄(昔の呼称)の寮もあったはずよ。だから、繁盛店というほどではなかったけれど常連さんたちもいて、それなりに賑わっていたわ。

    でも、その日はおばあちゃんがママのお店に着き、焼き立てのサンマと炊き立てのごはんを美味しくいただき終わってもまだお客様は一人もなし。

    「今日はお茶っぴきかな?ま、そんな日もあるわ。綾ちゃん今日はお店早く閉めて飲みにでも行こうか」

    「うん。いいね」遊びの相談は直ぐにまとまるのにね。

    そして、何時もの様にひとしきりママの秘密の恋話や子育ての悩みや愚痴を聞き終えた頃、ドアベルがなりやっと一人目のお客様が登場。

    パァーっとママの顔が一気に輝いたわ。これは、お客様の来店がただ嬉しかったからではないの。実はね、そのお客様は国鉄マンの川口さん。何を隠そうママの秘密の想い人だったからなのよ。その時はまだ、ママが自分の気持ちを伝えていなかったからママの一方通行よ。おばあちゃんだけが知っている秘密の恋心。

    ちょっと複雑なママの恋話はまたの機会に紹介することにしましょうかしらね。三人だと完全におばあちゃんはオジャマムシですもの。早々に退散しようと思っているとまた、ドアーベル。

     

    「あれ、間違ちゃったかな」と、今どきの女性コミックに描かれている様なスーツ姿のイイ男の登場。

    背後に薔薇の花でも纏っているのと言いたくなるほどに華やで魅力的な笑顔。

    「いらっしゃいませ」とママ。ママの様子からすると初めてのお客様らしい。

    「こんな可愛い子、さっきの店にいなかったものなぁ」と歯の浮くようなセリフを吐きつつ、スーッとおばあちゃんの隣の席へ。

    何ともスマートでいかにも遊び慣れた様子。おばあちゃんはその遊び慣れた態度に反感を感じていたのに不覚にも、一目で彼に魅せられてしまったわ。それを見透かされまいと必死のポーズ。平静を装いつつ彼を無視することに決めたのよ。『ゲゲッ。やばい、動揺するな、負けるな』。

    「本当に可愛いね」と顔をのぞき込む彼。

    まだそんなにお酒も飲んでいなのに、顔が赤くなったに違いないわ。『ここで言い返さなきゃ・・。』カウンター席の上には小さな三角の赤いランプシェードが並んでいたから、

    「夜目遠目傘の下だものね」と憎まれ口で応戦。

    蓮っ葉な女を気取り煙草をくゆらしたわ。

    「アハハハ、ほんとに可愛いや。ママ彼女に好きな飲み物を作ってやってくれる?ママも好きなもの飲んで。僕は・・。ビールでいいかな」

    「綾ちゃん、ジンライムでいい?じゃあ私は一緒にビールをいただきますね」と、ママ。

    彼がママとビールをさしつさされつつ語ったことによれば、彼は三業地という地名に興味があり、今日初めてこの地を訪れたらしいわ。そして、何軒かはしごしているうちに同僚たちとはぐれてしまったみたいね。

    しばらくすると、彼がジュークボックスに向かい何曲か曲を選んだわ。甘く切ない曲ばかりよ。

    「僕と踊ってくれる?」「いやよ、踊りなんか踊れないもの」「僕がリードするよ」。

    早鐘の様に胸が脈打つわ。でも、『平気な顔しなきゃ』

    「綾ちゃん、踊りなさいな。私も川口さんと踊りたい、良いでしょう川口さん?」とママの鶴の一声。

     

    照明は絞られほの暗く狭いフロアに甘くスローなリズム。チークダンスを踊るのはさながら、2組の恋人たちのよう・・。昔々の秋の日の、長が〜い夜の思い出よ。