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《おばあちゃんの恋袋 第四十五話》ピエロの恋 〜切ないなぁ〜

  • 2014年09月08日  吉井 綾乃  



    猛暑から一転秋まっしぐら、か?昔は、女心と秋の空。今様は、男心と秋の空とも言うらしいが・・。兎にも角にも、あの悪魔のような暑さとはサヨナラできたようだ。

    ただ、それと引き換えのようにして、豪雨が各地を襲い大きな爪痕を残して行った。被害にあわれた方がたには、言葉もなくただただ心からのお悔やみとエールを送るのみである。

    まさに、自然の営みは人間の思案の外。同じように恋もまた、一寸先は誰にもわからないものなのだ、と思う。

     

    昔も今も、男も女も恋する心に変わりはないものよね。

    今は昔、武蔵の国に男ありき。

    おばあちゃんがまだまだ、うらわかき乙女だった頃のこと。一時期、事務員さんをしていた紙屋さんで出会った素敵な男性のお話よ。

     

    今から40年も前のこと。印刷業界も今のように印刷機器がデジタル・高性能化もしていないし、ましてや、インターネットなどもまだまだ夢のまた夢の時代。

    雑誌や書籍の紙媒体が大手を振っていた時代だったから、印刷屋さんも紙屋さんもとっても忙しかったのよ。 印刷の熟練工というのか技術屋さんというのかしら? 彼らがとても大事にされていた記憶があるわ。だから、今ではほとんどみかけなくなってしまった町の小さな印刷屋さんや中小企業の印刷屋さんがとっても多かったのよ。 それと比例するように紙屋さんもとても多かったわけなのよね。

    『印刷会社の一番の得意先は印刷会社』と言われるほど、相互依存体質が強い業界だから印刷業界が繁盛していると結果、紙屋さんが大忙し、ということだったのかしらねぇ。

     

    そんな紙屋さんの中でも一番忙しく大変なポストが配送係。そして、今日の主役はその配送係を務める彼、亮さん。

    明るくて元気な彼は、気難しい社長にも覚えめでたく誰からも愛されていたわ。

    その当時の彼は26歳ぐらいだったかしら。まるでハンサムではないし、どちらかと言えば面白い顔(適切な表現じゃないのだけれど)かな。目じりと眉が下がり気味だから、笑っていないといつも何かに困っているような顔に見える彼。お世辞にもいい男とは言えないけれど、おばあちゃんも彼に魅かれたわ。

     

    トラックの運転手さんたちは気も荒く一癖も二癖もある人たちばかり、その中でも自分所有のトラックを持ち込んでいる個人契約の運転手さんたちは会社お抱えの運転手さんたちと反りが合わないし我が儘で会社の意向など無視。そんな運転手さんたちに配送の指示を出すのが彼の仕事。取引先への定期便や急ぎの配達、突然の注文をつつがなく処理するため、運転手さんたちの怒声を浴びながら事務所と倉庫の間を伝票片手に飛び回る、それが彼の毎日よ。

    「お願いしますよ。至急です」「てめぇ、ふざけんな」。どんなに運転手さんたちに怒鳴りまくられようと、明るくやんわりてきぱきと仕事をこなす。

    そして、夜ともなると気の合う仲間と毎晩のように街に繰り出すの。配送係の前は営業マンだったらしく、お客様から誘われてよその会社の社員旅行に参加したり、同業他社の社員さんたちとも懇意にしていたりと、とにかく人気者だったわ。もちろん女子社員の受けもピカイチよ。

    でも、彼女たちから見た彼は、楽しくて女子社員に優しい仕事のできる良い人、かな。恋人としては対象外だけれど、というと感じね。

     

    おばあちゃんが入社してすぐ参加することになった社員旅行。よその会社の社員旅行にお呼ばれするぐらいだから、自社の社員旅行は当然幹事さん。幹事は回りもちで別にいるのだけれど、社長直々のご指名で宴会の進行から段取りまで取り仕切るの。マイクを持つ手も実に堂に入っていたわね。それに、持ち前の明るさで場を盛り上げ、皆の気持を楽しくするのがとても上手な人だったの。

     

    ある日、「君も行く?」と彼が飲み会に誘ってくれた時は文字通り二つ返事で首が痛くなるほど頷いてしまったわ。彼の飲み仲間の1人になれたのがとても嬉しかったのよ。本当に楽しいお酒なのよね。だから、楽しすぎて必ず2次会3次会とはしごしてしまうのよ。おばあちゃんは昔からとてもお酒が強いので、遊びに出るたび彼に金魚のフンのごとくとついて歩いていたわ。そんな時はいつも、実際はそんなにお酒が強くない彼がいやな顔1つしないで家まで送ってくれたのよ。だから、ちょっと勘違いしてしまいそうになった時もあるの。でも、彼がフリーであることは間違いなさそう・・。

     

    彼の飲み友達というか遊び友達というかグループにはよその会社の人も何人かいたのよ。

    その中の1人の男性は、彼が尊敬している人だったわ。男兄弟のいない彼が兄の様に慕っていたみたい。ある時、その男性が一人の女性を連れて来たのよ。おばあちゃん以外は彼女のことを良く知っているらしかったわ。その男性の会社で受付嬢をしていて、その男性の婚約者だという弘子さん。けして美人ではないけれど優しい笑みをたたえ、立ち居振る舞いの美しい人。

    「亮君、お久しぶりね。元気だった?」と弘子さん。「相変わらずだよ」と亮さん。

    その瞬間、亮さんの顔と大きな涙の粒が描かれたピエロの顔がだぶったのよ。

     

    そして、『あ〜そうなのか』おばあちゃんには、はっきりとわかったの。弘子さんが亮さんの想い人だ、弘子さんも亮さんの気持ちを知っているのだわ、と。

    照れたように笑う亮さんの笑顔の中の哀しみに気付いた時、おばあちゃんも亮さんに恋してしまったのよね。弘子さんを思う亮さんの気持ちが切なくて、切なくて胸が押しつぶされそう・・。本気で泣き出しそうになるのを必死に堪えたわ。

    それもこれも、今は昔の物語だわね。