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《おばあちゃんの恋袋 第百九話》サヨナラを言わない〜優しい男〜

  • 2015年12月01日  吉井 綾乃  



    今日は小春日和。
    何日か前の時雨が嘘のようだ。師走に入ったというのにまるで実感がわかないのは今日の天気のせいであろうか。否、寄る年波が時間の流れを無視するためであろうか。否、どちらも合っている気もするが、違うような気もする。
    結ばれていた二人が別れる時は当人同士にしかわからない機微が生まれる、らしいが女心も男心も曖昧模糊。他人様にはわからない。
     
     
    一昔前は師走の声を聞けば、なぜか気ぜわしくなったものだけれど、近頃はさっぱり、そんな気持ちにならないのよ。なんだかさびしいわねぇ。
     
    さてさて、皆様はいかがお過ごしかしら?
    忙しくしているかしら。元気で忙しいのが一番よ。
     
    「だから、なんで。なんでって聞いているじゃん」
    「ごめん」
    「ごめんじゃわからないじゃん。そんなこと聞きたいんじゃないよ」
    「…」
    「教えてってば」
    「ごめん」
    「あやまらないでよぉ!なぜよ、なんでよ」
     
    ドラマのワンシーンのようなやり取りを盗み聞きしてしまったおばあちゃん。盗み聞きは違うわ。人聞きが悪いわよね。たまたま聞こえてしまったというのが正しいのよ。
    時は1970年、場所は新宿のとある深夜喫茶。
    大きい声じゃ、言えないけれど当時、おばあちゃんは夜な夜な遊び歩いていたの。ご近所には内緒よ。
    で、その日もACB(アシベ)で踊りつかれて始発電車を待っているところだったと思召せ。
    補足説明が必要ね。ACBは新宿歌舞伎町のアシベ会館にあったゴーゴークラブ。今でもアシベ会館はライブハウスとして現役らしいけれど、おばあちゃんが18・9歳の頃は、生バンドが入り生演奏で踊れるゴーゴークラブだったのよ。細長いビルをエレベーターで上がると男性店員がお出迎え。余談ながらおばあちゃんたちの時代には黒服という言葉は使われてなかったわ。でも、その黒服もすでに死語だわね。お店のドアの前で出迎えてくれた店員さんたちは黒い服を着ていたわね。制服だったのかしら?
    踊るのが大好きだったおばあちゃんはその頃は遊び呆けてアルバイトもほとんどしていなかったので超がつくほど貧乏だったのよね。だから女性が半額の時やロハの日をめがけて踊りに通っていたのよ。
    アシベの閉店時間まで粘り歌舞伎町にある深夜喫茶で始発電車を待つのがその頃のおばあちゃんのパターンだったわ。でも、それには訳があったの。実はね、その深夜喫茶にはおばあちゃんの男友達が二人アルバイトしていて飲み食いがタダでできたのよね。
    深夜に雇い主、いわゆるオーナーが顔を出すこともないし、何より男友達の一人はこのお店の夜の責任者だったのよ。某大学の泣く子も黙る応援団の彼は蝶ネクタイがお世辞にも似合っているとはいえなかったけれど、とても大学生には見えなかったわ。その彼とおばあちゃんは親友同士。男の絆(らしい)で結ばれていたの。大の仲良しだったのよ。だからって、お金を払わないなんていけないことだわよね。今じゃ時効だけれど…。でも、背に腹は代えられないでしょう。踊るとお腹は空くけれどお金がないのですもの。
    その夜も、そんなに美味しくもないパサパサのサンドイッチ(羽田、ごめんなさい)でお腹を満たし、深夜はクローズになる二階に上がり椅子を並べて横になっていたのよ。勝手知ったるなんとやら、慣れたものよ。
    「〇〇になんか言われたの?」
    「…」
    「だまってちゃわかんないよ」
    「…」
    「なんでよ、なんで」
    「ごめん」
    クローズされた二階には、ガラス越しに外のネオンの灯りが入り込んで結構な明るさだけれどまさか、人が寝ているとは夢にも思わないお二人さん。丁度大きな衝立で灯りがさいぎられ、おばあちゃんの横になっている椅子は死角。知らないうちに眠ってしまっていたおばあちゃんだってビックリだわよ。
     
    でも、二人ともおばあちゃん知っている人。女の人…って言っていいのかしら。彼女はおばあちゃんたちの中では有名人だったのよ。本当の年齢が16歳の家出娘の通称ミーちゃん。
    周りのみんなが家出娘だと知っていたのもなんだかわけがわからないのだけれど、ミーちゃんは当時、キャバレーのホステスさん。16歳じゃ働けるわけがないのだけれど間違いなくホステスさんだったわ。頭の中ではミーちゃんはおばあちゃんより3歳ぐらい年下だとわかっているのだけれど、面と向かうと自分より年上の女性に接しているような気持になってしまうのよね。何故か敬語で話していたかも…。
     
    「羽田ちゃん。ちょっと来てよぉ」
    と、ミーちゃんに呼ばれ羽田ちゃん、おばあちゃんの親友、この店の夜の責任者、が二階へ、上って来たわ。
    「羽田ちゃんから真ちゃんに聞いてよ。何も言ってくれない。訳わかんない」
    「うん。真治には俺から聞いておく。○○さん、これから来る(迎えに)?来ないなら、俺が送るよ」
    「うん。今日来ない」
    「じゃ、今日は俺が送るから、帰ろ」
    と、半ば強引にお店からミーちゃんを連れだした羽田ちゃん。
     
    「真ちゃん、いったいどうしたの」
    突然、おばあちゃんに声を掛けられた真治君、一瞬ギョとしたようだけど、いつものことなのですぐ状況はのみ込めたみたいね。飲み込めなかったのはおばあちゃんの方よ
    真ちゃんとミーちゃんはお付き合いを始めたばかりの初々しいカップルよ。真ちゃんは、羽田君の応援団の後輩で大学生。先輩の命令でこの店でアルバイトを始めた真ちゃんに一目惚れしたのがミーちゃんだったのよね。最初、真ちゃんもミーちゃんを年上の女性だと思ったらしいわ。でも、ミーちゃんに押し切られる形で交際開始。その二人に何が…。
     
    ここでキーマン○○さんね。実は、○○さんは家出娘ミーちゃんの親代わりのようなもの。住むところも働くところも〇〇さんが世話したらしいし…。○○さんは当時30前後のおじさん。二人の関係は不思議なものだったわ。男女の関係ではないと当人たちは言っていたけど、お店の送り迎えをする○○さんをよく見かけたものよ。
     
    真ちゃんのお話。
    ○○さんはミーちゃんを女性として深く愛している。家に戻れば不幸になる彼女を全力で守っている。僕からサヨナラは言えないけれど〇〇さんからも奪えない。
     
    分ったような、わからないような…。真ちゃんの苦しげな顔を見て、男心も揺れるのね、と若かったおばあちゃんは思ったものよ。