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《おばあちゃんの恋袋 第百八話》恋の経験値〜イイ女の失敗〜

  • 2015年11月24日  吉井 綾乃  



    すでに、11月も最終週。

    何とも一年が早い。年齢を重ねてくると、年々加速するのが月日の流れだ。

    目の前に師走が迫っているのに、冬の実感がまだない。

    気象庁の発表通り暖冬、エルニーニョ現象の影響で寒気が流れ込んでくるのが弱いためだろうか。長年経験している冬の寒ささえ、毎年同じではなく、地球規模の変化が経験などけ散らしてしまう。

    恋愛もまた、経験がまるで役に立たないことが多いように思う。

     

    さて、今日の思い出の中の女性の名は珠代さん。

    たぶん、おばあちゃんが思い出の中の女性と言っても誰も興味をそそられないでしょうね。これが、男性のセリフなら艶っぽい思い出に相違ないから別でしょうれども…。

    でも、聞いて頂戴な。この珠代さんは聞きしに勝る男性遍歴を持つ女性。昔々でも恋多き女性、ある意味奔放な女性は存在していたという証拠になると思うのよ。

     

    おばあちゃんが初めて珠代さんを知ったのは今から40数年前。おばあちゃんがまだ二十歳前の時だったわ。

    おばあちゃんが上京して大学に通いだした頃は当然、右も左もわからないおのぼりさん状態。毎日、大学に通う乗換駅の新宿駅のコンコースから下を覗いては、一体全体この大勢の人たちはどこから湧いて出るのだろう、と本気で不思議に思っていたものよ。

    思い出せば、誰一人として知った顔がない学校でも、寂しさや心細さを感じていた時期でもあったわね。そんな時、優しく声を掛けて友達になってくれたのが珠代さんの妹セッちゃんだったわ。その、セッちゃんを介してお姉さんの珠代さんを知ったのよ。

     

    当時、すでに音大を出て近所の子供たちにピアノを教えていた珠代さんは都会的で洗練された大人の女性。セッちゃんも確かに美人さんだったけれど、お姉さんの珠代さんは誰もが認める正統派の美人。陶器のように透き通った白い肌に黒目勝ちの瞳を伏せると形よくカールしたまつ毛が、昔欲しかったフランス人形によく似ていたわ。

    でもね、そんな素敵な女性の妹であるセッちゃんは事あるごとに『お姉ちゃんはね、小さな時から女王様だから、しょうがないのよ』と、少々の怒りと諦めをこめて言っていたのよ。これって、その美貌が故に幼いころから周りからチヤホヤされることがあたりまえになり、少々我が儘で我慢のきかない性格になったと、言いたかったからみたいなの。おばあちゃんもそのことは後から気がついたのだけれど。

    でも、当初は田舎者のおばあちゃんから見たら、珠代さんは美人でセンスが良くてスタイルが良くて何でもできて…、完璧な女性だったのよ。まさに憧れの女性だったわ。

     

    セッちゃんと珠代さんは二人姉妹で東京生まれの東京育ち。優しいご両親も健在で、おばあちゃんたちが通う大学に近いところに自宅があったこともあり、侘しいアパート住まいのおばあちゃんをよく自宅に招いてくれたのよね。

    おばあちゃんが珠代さんをリスペクトしていることはセッちゃんも知っていたしご本人の珠代さんも十分承知していたわ。だから、珠代さんが在宅している時は珠代さんが快く迎え入れてくれたし、むしろセッちゃんと一緒にいるより珠代さんのお部屋に入りびたりだったかもしれないわ。

     

    そんなある日、珠代さんが身体の調子が悪く部屋で臥せっていると聞いて部屋を訪ねると顔は青白く唇も赤みがまるでなくカサついて、いつもの珠代さんとは別人のようだったわ。

    「大丈夫ですか」

    と、恐る恐る声を掛けると

    「大丈夫よ。病気じゃないから。ちょっとお腹が痛いだけ」

    と、血の気のない顔にモナリザのような不思議な微笑み…。

    「もしかして、生理、とか?」

    と、半信半疑でつぶやくと軽く小さな笑い声をあげて

    「綾ちゃんって面白いわね。違うわ、これ、よ」

    何で面白いと言われたのか見当もつかなかったけれど、ベットサイドに置かれていたポーチから取り出した一枚の診察券を見せられて尚、頭がグルグル。その診察券は産婦人科のものよ。『生理痛じゃない、じゃぁ、性病とか?えっ、何?何??』

    「節子(セッちゃん)には内緒にしてね。知られたくないの」

    と、珠代さんが言うのを聞いてやっと合点がいったわ。それから、問わず語りに珠代さんが話した内容はうら若いおばあちゃんを打ちのめすのには十分すぎるほどヘビーなものだったわ。

    堕胎が始めての経験ではなく産婦人科医から赤ちゃんを授かれなくなる可能性を知らされたこと。そして、現在進行形で同時に三人とお付き合いしていること。それでも、赤ちゃんの父親は自分にはわかっていること。(一番若い年下の大学生だといっていたわ)三人にそれぞれ愛情を持っていること。でもまだ、誰とも結婚という形をとりたくないこと。

     

    淡々と話す珠代さん。驚きと衝撃を隠して、訳知り顔で黙って聞いていたおばあちゃんはまだ、二十歳の誕生日前だったと思うわ。その時は、おばあちゃんを見込んでというより、体も弱っていて誰かに話したかっただけなのでしょうけれど、このことがあってから珠代さんは秘密の恋やお相手もおばあちゃんには何でも話してくれるようになったのよね。

     

    その三人以外にも珠代さんには次々にお付き合いをする男性が現れ続けたわ。それだけ魅力的な女性だったのよ。間違いなく、ね。

    そして、その何年後にはピアノの演奏をしていたナイトクラブである有名人に見初められゴールイン。産婦人科医の忠告も杞憂にすぎず、可愛い女の子も授かったそうよ。だけど、残念ながら結婚生活は長くは続かなかったみたい…。その頃はおばあちゃんも東京を離れ、風の噂だけだけれどもね。

     

    もしかしたら、一人として珠代さんを満足させられる人は現れなかったのかしらね。とても悲しいことだわ。恋の数だけ経験値が上がり上手な恋が出来るのなら珠代さんはきっと幸せを手に入れていたはずなのに。ホントに、恋には経験なんて役に立たないものだわ。

     

    だから、何度でも何度でも、繰り返して人を好きになることができるのかもしれないわね。