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《ヒモノ図書館員の恋愛強化書》亡き夫と街を渡り歩く『岸辺の旅』

  • 2015年09月04日  猫元 わかば  



    大事な人が幽霊になって現れる。小説やマンガなどでよく見かける設定です。「いつか消えてしまう」「ふれあえない」という切なさはキュンと来てしまいます。今回ご紹介するのは突然現れた亡き夫と旅にでる女性のお話です。
     
     
    今回ご紹介させていただくのは、湯本香樹実(ゆもと かずみ)さんの『岸辺の旅』です。
    深津絵里さん×浅野忠信さんのコンビで映画化も決定し、2015年10月1日よりいよいよ全国ロードショー!
    映画はなんと第68回カンヌ国際映画祭で「ある視点」部門で監督賞を受賞しております。
    スタンディングオベーションを2回も受けた…ということで、公開日が待ち遠しいばかりです。
     
    原作小説はとても繊細な表現が多く、静かでおだやかで、でもいつもさみしい感じ。
    作者の湯本さんは東京音楽大学卒とのこと。なるほど、この細やかな世界観も納得です。
     
     
    ●『岸辺の旅』あらすじ
     
    ある日、瑞希がしらたまをつくっていると、3年前から行方不明になっていた夫の優介が部屋の中にいることに気づきます。
    戻ってきたことに関して「これでもいそいだんだ」「ここまで長い旅をしてきた」と言いわけをしながら、「俺の体は、とうに海の底で蟹に喰われてしまった」と自らの死をつげる優介。
    そして優介は瑞希をつれて旅に出ます。
    優介が2人の住んでいた家まで帰ってくる際に歩いた道をたどる旅です。
    何日かかるか分からない、どこへ行くか分からない旅。
    優介が歩いてきた道を辿りながら、瑞希はさまざまな人と出会います。
    その先々や道中で優介の新しい顔を知り、変わらぬ顔を見ながら、街から街へと移りゆきます。
     
     
    すでに死を迎えてしまった優介と生者である瑞希の旅は独特の世界観でもって描かれています。
    2人が訪れる先には必ず「水」が登場します。
    海だったり川だったり滝だったり、水道からザァザァ流れる水だったり。
    実にさまざまですが、読んでいる側まで水の中をたゆたっているような、水の中に全身を浸しているような不思議な気分になる小説です。
     
     
    ●幸せだけど悲しい2人旅
     
    蟹に喰われた――すでに死んでしまった優介は、幽霊なのかお化けなのか、思念体のようなものなのか、ハッキリしたことはわかりません。
    ただ私たちが一般的に想像する「幽霊」のようなものとは違うということだけは確かです。
    優介には足があり、触ることができ、ちゃんと体温もある。
    瑞希以外の人も姿を見ることができ、ものを食べることもできます。
    ヒゲもそらなければいけないし、髪も伸びていきます。
    なんだかとっても人間臭い、ちょっと変わった「死人」です。
     
    一方の瑞希もちょっと変わっています。
    3年間失踪していた優介が、ある日突然家の中に立っていた。
    大事な人がいきなり現れたら混乱するし、何より私だったら怒りが湧くか号泣するかもしれません。
    ところが「どこいってたの!?」とか「何してたの!?」と食って掛かることもせず、瑞希はただ「おかえり」と声をかけて、作っていたしらたまを器によそい、優介に差し出します。
    私はそのシーン、懐が広いんだなとかいい奥さんだなという肯定的な感想よりも「なんだか変な人だな」と奇妙さを覚えまいた。
    瑞希は瑞希で生きている側の人間にもかかわらず、とてもあいまいで危うい感じがします。よほど優介の方が人間っぽい。
     
     
    そんな2人の旅は、一緒にいられる幸せよりも、不安定で物悲しさが常に寄り添っているように思えます。
    瑞希のもとへ帰ってくる3年間。優介はいろいろな街でいろいろな人たちの世話になりながら生活していました。
    ひとりで新聞を配達しているおじいさん、ぎょうざが売りのこじんまりした中華料理屋さん、たばこ農家。
     
    新聞を配ったり中華料理屋を手伝ったり、子供に勉強を教えてあげたりする優介の姿を眺めながら、瑞希は「このままこの場所にいるのも悪くないな」と何度も思います。
    すると狙ったように優介は次の街へと移ってしまいます。
    行先は全て優介まかせ。ついていくだけで良い、という瑞希は健気というよりも優介を失うことへの強迫観念に捕らわれているようで、とても悲しい。
    酷い男だなあ…と思いつつ、優介にはどれぐらい時間が残されているか分からない。
    何より、いつか来る自分が本当に消えてしまう日に備えて、どこかおぼつかない瑞希にしっかりと現実を見せてあげたかったのかな、なんて思ったりもしました。
     
     
    ●寂しくても、悲しくても、おなかは空く! 
     
    瑞希の作るあんこ入りのしらたま。
    優介が上手にくるむ餃子は肉汁があふれてジューシー。皮も中華料理屋の店主の手作りで、もちっとしつつもこんがり焼けた部分はカリッとうれしい食感。
    シンプルにお湯で煮ただけの赤い魚はたっぷりの大根おろしとおしょうゆで。〆は魚のうま味がたっぷり溶けだした煮汁でつくったおじや。
    ブルーベリー味のキャラメル。優介がまるっと一本たいらげたロールケーキ。歯が溶けそうなほど甘いハッカ飴。
    小説の中ではたくさんのおいしそうな食べ物が登場します。
     
    作中で瑞希は「泣きながらでもちゃんとご飯を食べそう」と言われています。
    さみしい雰囲気の小説なのに食事のシーンが何度も登場し、そこから生命力というか生きている証のようなものを感じました。
    読みながら、きっとおなかが空いてしまうはず。
    私も読み終わってから餃子と煮魚が食べたくなりました。
    ぜひちょっとつまめる読書のお供を用意して、静かな雰囲気の中でゆったりと読んでいただきたい1冊です。