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《ヒモノ図書館員の恋愛強化書》恋と呼ぶには鮮烈『トイレのピエタ』

  • 2015年07月31日  猫元 わかば  



    自分の生き方や性格、考え方はそうそう変えられるものではありません。それこそ何か大きな、良くも悪くも重大な変化がない限りは。今回は癌を宣告され、自分や生を見つめ、走り出し、最後の最後に「生」を掴んだ『大人』のお話です。
     
     
    今回ご紹介するのは松永大司さんの『トイレのピエタ』です。
    6月から公開された映画を、すでにごらんになった方もいらっしゃるかと思います。
    大人気のバンド「RADWIMPS」のボーカル&ギターを担当する野田洋次郎さん初映画出演!ということでも大きな話題となりました。
     
    もう1つこの作品が話題となっている理由が、漫画家・手塚治虫先生の存在。
    手塚先生が亡くなる直前までつづっていた日記の、最後のページに書かれていた作品構想が『トイレのピエタ』を生み出すきっかけになっているのだそうです。
    その内容を一部取り上げますと
     
    「癌の宣告を受けた患者が、何一つやれないままに死んで行くのはばかげていると、入院室のトイレに天井画を描き出すのだ。」
    「彼はなぜこうまでしてピエタにこだわったのか?これがこの作品のテーマになる。」
     
    手塚先生のこの日記から生まれたのはどんな作品なのでしょうか。
     
     
    ○あらすじ
     
    窓拭きのアルバイトをしながら暮らす園田宏。
    ある日、宏は仕事中に倒れ、病院で精密検査を受けることになります。
    医者から「家族と一緒に診察結果を聞いてほしい」と頼まれた宏ですが、実家とは疎遠状態で連絡することができません。
    美大生時代に付き合っていた彼女に付き添ってもらうも、病院でケンカ別れしてしまいます。そこで宏はたまたま病院に居合わせた女子高生・宮田真衣に妹役を頼み、医者の元へ。
    すると胃に悪性の腫瘍があること、このまま治療をしなければ余命3ヶ月であることを宣告されます。
    茫然自失となった宏に、真衣は淡々と言葉をつむぎます。「今から一緒に死んじゃおうか?」。
    生と死の間で苦しみ、様々な人の命と触れ合う中で、宏はもう1度絵を描こうと決心します。
     
     
    ○似たモノ同士が2人
     
    窓拭きのアルバイトで生計を立てる宏はかつて美大に通い、画家を夢見るほど絵を描くことが大好きな青年でした。
    彼は「流行り」に乗ることをよしとせず、自分の好きなように描いていればいつか必ず認められると日が来ると信じていたのです。
    ところが世の中そう上手くはいかず、コンテストに応募した絵は何の賞もとれずじまい。
    グランプリを取った作品や総評を見て、「こんな見る目のないやつらに評価されるなんてゴメンだ」と見切りをつけ、ついには筆を折ってしまいます。
     
    そんな宏と真衣の出会いは、真衣がサラリーマンにお金をせびっているという変わったシチュエーション。
    真衣は自転車の通学中、サラリーマンと衝突してしまい、「念のための…」とサラリーマンに連れられ宏のいる病院を訪れたところでした。
    検査は異常なし。残ったのは遅刻という現実と敗れた制服だけ。
    怒りが爆発するのも、年齢を考えると、まあ分かります。
    私の第一印象は「口の悪い、粋がった女子高生」とでも言いましょうか。ああ、若いなあ…と遠巻きに見てしまう感じ。
    ところがそんな彼女には、女手1つで家計を支える母親に代わり家事を担い、さらに同居している認知症の祖母の面倒まで見ている意外な一面が。
     
    真衣から見ると寝ているだけでゴハンが食べられる<楽な暮らし>をしている宏。
    宏からすれば真衣は言葉の通じない、宇宙人のような迷惑で無遠慮な女子高生。
     
    同族嫌悪とはよく言いますが、宏と真衣はまさにそんな感じ。
    自分を取り巻く世界に牙をむきながらも生きることに期待せず、何かを諦めている。
    不器用な2人の関わり合いはむき出しの言葉のぶつけ合い。口を開くたびに傷を作りますが、その傷は妙に瑞々しくて「なんかいいなあ」と思ってしまいました。
     
     
    ○2人の間にあったものは?
     
    本来なら全く交わらないだろう2人の生が、宏の「死」を通して少しだけ重なります。
    とはいいつつも、お互いに「あの人ステキだったなあ…」と恋する女子のように空想にふけるでもなく、お互いのことを思い出すこともほんのわずか。
    2人はそれぞれ相手を「あんた」とか「お前」とか「大人」「女子高生」と呼びます。
    互いの携帯の番号は知っているのに、お互いの名前を知らないというのが、何だかいい。
    逆に特別な感じがして、グッと来ました。
     
    薬を飲んだって死ぬ。何も残せないまま人生が終わってしまう。
    思わず弱音を吐いた宏に、「私が生きてるんだから生きろ」と真衣は無責任に勇気づけます。
    ものすごく乱暴で無責任なのに、読んでいた私もその理不尽さに救われました。
    このとき宏は絵を描きたい、描こうと決心したのかもしれません。
     
    恋や愛という言葉で表現するには異色な宏と真衣ですが、描かれる宏の生き方に、真衣の言葉に、慰められる人も多いのではないでしょうか。
    決して甘くはない、ベタベタな恋愛の話ではありませんが2人の間に何かが芽生えていたのは確かなはず。
    それぞれ抱いた物はちがったかもしれません。でも互いの心が寄り添った時間は確かにあって、それぞれに出した答えが、その後の自分の生き方を大きく変えるきっかけになっている。
    最後の力で絵を描きながら「生きている」と実感できた宏は、ほんのわずかな時間だったとはいえ、誰よりも幸せだったに違いないのです。
     
    宏と真衣のぶつかりあい、傷つけあいながら距離を縮めていく様子が痛々しくも心地よく、作中のプールの描写は爽やかで夏にぴったり。
    まだ読んでいないという方には、ぜひこの時季に読んでいただきたい。
    涙なしには読めないけれど爽快感のある夏におすすめの1冊です。