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【ねむみの切り捨て御免】“やり逃げされた”って言い方に物申す

  • 2014年09月04日  安眠亭 ねむみ  



    失恋した人や一夜だけの関係になってしまった人が口にしがちな「やり逃げされた」って言い方が正直嫌い。だって、その時は自分も快楽を得て楽しんだのに、勝手に被害者面してるようにしか思えないから。もっと言ってしまうと、それってズルいんじゃないかなって。

     

    ・セックスにドライだった私

    かつてメンヘラクソビッチを拗らせ多くの男性と体を重ねた私。セフレとして継続的に夜を共にすることもあれば、ふらふらしていたときにたまたま居合わせ意気投合した人とも寝ることがあった。そんな性に奔放すぎる自由で気ままな生活を一時期送っていたせいか、セックスに対する考えがすごくドライなものになってしまったんだよね。

    極端に言ってしまえば「セックスの時に気持よかったら、その後は別にどうでもいい」って感じかな。その中にはもちろん、妊娠だとか病気だとかのリスクがお互いにないセックスが大前提としてあるわけだけど。今はそんなこともなくて、もうすぐ旦那となる彼としか体を重ねたくないし、回数が少なくなった分その一回一回をとても大切にしてるよ。けれど、ドライだった頃の私が今でも少し健在しているっていうのは否めない。だって、「やり逃げされた」と憤ったり怒ったりしている人を見ると、「何言ってんだこいつ」って思うもん。

     

    ・「やり逃げされた」って言い方のズルさ

    まず、「やり逃げされた」ということは、当たり前だけどその相手とセックスしたってこと。けれど、そのセックスをする過程で、自分はまんざらでもなかったからヤッたんでしょ。自分の意思と関係なく無理やりだったってんなら、それはもうレイプだしね。

    そうじゃなくて、「やり逃げされた」と言うその本人も「この人とならセックスしてもいいかな」とか「この人に抱かれたいな」って思ってセックスしたわけで。しかも、セックスで気持ちよくなったわけで。その最中を楽しんでおいて何が「やり逃げされた」だよ、って思うんだよね。「やり逃げされた」って被害者的な意識は一体どこから来るんだよ?!と理解できないレベル。自分の決断・意思・行動それら全てを相手のせいにしちゃってさ、「やり逃げされた」って言葉を耳にする度に、「本当お前ズルくね?」って言いたくなる。それに「やり逃げされた」と言う人って、何に対しても何らかの見返りを要求しているように思えるのは私だけかな。

    セックスを一緒に楽しんだにも関わらず「やり逃げされた」と言うのは、つまり「私がセックスをしてあげたんだから、何かしてくれてもいいんじゃない?」って考えがあるはず。けれど、恋愛にしろ何にしろ相手がいる限り、時間やお金、男女仲だと体も含まれるそれらを相手に捧げるじゃん。実際、捧げるか捧げないかは最終的に自分の判断や意思によるもので。その相手に何かを捧げるのが嫌なら、断るなり拒否するなりで避ければいいんだし。けれど、それをせずに自分の意思で捧げたというのなら、その判断や行動に責任を持てって話なんだよね。

    相手と恋愛の関係になってしまったら、お金や時間、さらには体もたくさん捧げることになる。けれど、自分の意思で捧げた後、相手の行動や発言が自分の思い通りのものじゃなかったからといって、相手に自分の判断や責任を相手に押し付けて、その相手に文句を言ったり被害者面するのはナンセンスだよ。それに、人が全員自分の思い通りになるなら、それはそれで少しつまらないんじゃないかな。

     

    ・思い通りの恋愛なんてつまらない!

    恋愛にしろ何にしろ、相手がいる人間関係で全て自分の思い通りにことを運ぶなんてまず無理だと思う。だって、相手も自分と同じ感情のある人間で、相手もまた「自分的にはこうなってほしいな」っていうような理想を描いているのかもしれないし。その理想と自分のそれが合致していればいいけれど、そうでないことの方が多いわけで。けれど、そんな違いから自分の思い通りにならない方が、きっと楽しいと思う。

    何もかも自分の思い通りになってしまったら、「自分の思い通りになって当たり前」って考えがさも当然のことになってしまって、自分がどうすべきなのか模索したり、相手のことを思いやったりしないはずなんだよね。それってとてもつまらないし、悲しい。せっかくの人間関係なんだから、とことん相手と自分に目を向けたい。

    相手が自分の思い通りに物を言ったり行動しないからこそ、相手や自分自身にも目を向け、自分たちの言動に気を付けると思うんだよね。自分の思い通りになる関係よりもそういう関係のほうが、たまに傷つくことがあったとしても、きっと充実して楽しいはず。そして、そんな日常の中で自分たちの理想や思い描く将来のビジョンが同じだとしたら、それはとても嬉しいことじゃないかな。自分が思っていることを大切な相手も考えていたら、とても嬉しい。そんな喜びを享受するためにも、「自分の思い通りになること」よりも「相手と自分に目を向けること」を大切にしていきたい。