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【ねむみの切り捨て御免】自分の価値を確認するための恋愛

  • 2014年08月18日  安眠亭 ねむみ  



    恋愛をするのも、誰とセックスをするのも個人の勝手じゃん。そのセックスの目的だとか、セックスの意味だとかも人によっては全く違ってくるって思うんだよね。例えばかつての私は、セックスは自分の価値を再確認するためのものでしかなかった。

     

    ・恋愛とかセックスを道具としか思えなかった

    今は、結婚も控えとても幸せな毎日を送っている私だけれど、そんな私になる以前は暗黒メンヘラクソビッチ時代を送っていたよ。その頃の後遺症の1つに、「初対面の男性を性的な目でしか見れない」ってのがある、馬鹿みたいだけどね。例えば、新しい美容院の男性の担当の人と話してる時も「この人ってこんな感じで攻めるんだろうな」とか「案外Mかも知れないな、それはそれで最高だな」とかそんなことばっかり考えてしまう体質になっちゃっててさ。思春期の男子高校生かよって感じなんだけど、なかなかこの思考回路をやめられないくらいには、暗黒時代に男を貪っていたってわけ。

    暗黒時代のダークサイドに堕ちてしまった私は、男性のことをセックスする相手としか思ってなかったよ。その男性のステータスが高ければ高いほど、「どんなセックスをするのか」とか「どんな顔で気持よくなるのか」とか、そんなオスとしての一面で見せる普段とのギャップが気になっちゃってさ。それに、イケメンだとか高収入の人だとか、そういう高ステータスの男性と寝れたときには、激レアのモンスターをコンプリートしたようなそんな優越感に浸れてたっけ。激レアな人でさえも振り向かせるほどの価値が私にはあるんだと、自分にも自身が持てた。そんな私は男性のことを「自分の価値を確認するための道具」としか見れていなかったと思う。今の私だからこそ言えるけれど、当時の私は本当にかわいそうな女だったなって。

     

    ・セックスでコンプレックスを無くしたかった

    そんな風に寝た男性のスペックだとかステータスで自分の価値を見出していたのは、コンプレックスを拭いたくて仕方なかったからだと思う。その頃のヤりまくっていた私には当然恋人だとか大切な人と言える人がいなくてね。私のようなクズを見放さずに仲良くしてくれている、聖人のような友人たちにはもちろん彼氏とか大切な人がいるわけで。彼女らには口が裂けても言えなかったけれど、きっとそんな大切な人がそばに居て幸せを感じている彼女達がとてもうらやましくて、その反面すごく妬ましかったんだよね。そんな負の感情を抱いてしまう自分自身も嫌だった。それと同じくらい自分が必要とされないこの世の中も嫌だったし、生きてる意味なんてあるのかなとすら思った。自分に大切な人がいる幸せな人達のようには当時の私はなれるはずがなかった。だって、生きることすら嫌になっている人間が、赤の他人を愛せるかって話じゃん。もちろん、そんなことができれば苦労しないって感じだったし無理なわけで。だから、自分の生まれ持ったスタイルの良さを最大限に活かして、男を釣ってはその獲物の大きさで自分の心の隙間を埋めてたんだよな。そして「この間寝た人は◯◯ですごかったんだ〜」ってひけらかして、「私は◯◯な人と一夜を共に出来るくらい魅力がある」ってアピールをしてたっけ。

    初めのうちはそれで十分満たされた。けれど、どの充実感もずっとは続かなくて。どんない多くの男性と関係を持てるほどの自分であっても、1人の大切な人に愛される幸せな人達には勝てないんだって気付いたんだよね。「これっていわゆる負け犬の遠吠えじゃね」とすごく惨めになった。それに、こんな自分自身が大嫌いでこの世の中が嫌になっている私みたいな人間でも、関係を持ててしまう相手にも冷めてしまったな。「こんなにハイスペックな人間も、所詮はこの程度なのか」って、最中に死んだ目をしながらホテルの天井を眺めたことなんて死ぬほどあった。そんな毎日を過ごしているうちに、さすがの私も「もう、こんな荒んだ性生活はやめてしまおう」って思ったんだよね。やっぱり、好きな人・自分の大切な人とセックスがしたいっていう考えに、かなりの回り道をして至ったね。

     

    ・回り道をしたからこそ今の私がいる

    そう思い立ってからはもうセフレとも連絡を取らなかったし、露出度の高い服を着て1人で夜な夜な飲み歩くなんてことはしなかった。恋人がいない自分と、大切な人がいる幸せな人達とを比べて劣等感を抱くこともしなかった。その代わり、自分の大好きなことだけに目を向けたっけ。その頃に消化したアニメの多さったらびっくりするよ。けれど、そうやって自分の好きなことをして、「他人は他人、自分は自分。だから私は自分の好きなようにすればいいんだ」って気付いてからはとても心が楽になった。それからかな、恋愛ができる余裕が生まれたのは。

    かなりの回り道をしてしまったけれど、心が荒みきってしまいその荒んだ心を癒やすために多くの男性と体を重ねた自分がいるからこそ、今私にとっての大切な人と愛し合える喜びを十分に噛みしめることができるんだと思う。愛のあるセックスの喜びだけじゃない。人を愛し、その愛している相手から愛してもらえるっていうその奇跡にも、感謝できる自分がいるんだよね。そんなふうに思える私も、大人になれたかなって自分でも思うよ。